朝日新聞01.1.7より


建設省の諮問機関だった河川審議会は昨年暮れの答申で「洪水と共存する治水」の提案をした。
ダムや堤防で洪水を押さえ込もうとした従来型の治水から、輪中堤や遊水地といった伝統的な手法を使って、洪水を安全にあふれさせる治水へ。
自然と調和するため、治水思想の大転換を迫る提案だ。
改正河川法は、河川ごとに住民の意思を聴きながら治水や利水、環境に配慮した河川整備を定めるよう求めている。だがほとんどの河川で未完成だ。洪水と共存を目指すためには、流域住民にも相応の負担が求められる。
一方、住民がいろいろな治水対策の中から望ましいメニューを選択する仕組みはない。環境に配慮しながら、様々な治水方法を住民の意思で選べるルール作りが急がれる。


治水行政はこの百年、洪水を早く海に流すのを基本に、川を真っ直ぐにして堤防を強化し、上流に
ダムを造ることにこだわっできた。水はけがよくなった半面、環境は傷つき、川は人工の水路と化した。
それでいてなお、水害は防げていない。流域開発が進んで、雨水をとどめておく場所が失われ、洪水の規模はさらに大きくなっている。昨年九月の東海豪雨がそうだ。
洪水をひたすら川に押し込めようとしてきた近代治水の限界を物語る。そろそろ発想を変えるべきではないか。
「川があふることを前提に流域全体で治水を進めるべきだ」。国土交通省誕生前の建設租の諮間機関、河川審議会は昨年末、そんな趣旨の答申を出した。洪水と共存してきた伝統的な治水に学べというのだ。
ダムや堤防への過度の依存から脱却し、治水の転換を促す提案として評価したい。
答申は、田畑などに水をあふれさせる役割を持った霞堤や、水の勢いを和らげるための水害防備林を川沿いに設ける、といった手法の復活を求めている。小さな集落は宅地をかさ上げしたり、人々が住むところだけを囲う「輪中堤」を築いたりする対策もあげている。
輪中堤は、1976年の長良川決壊で効果が実証されている。昔からの輪中堤を残してきた集落は水害を免れた。
政府の新年度予算案でも、三重県紀宝町などで輸中堤や宅地のかさ上げを進める費用が盛られている。住宅移転が少なく、事業が早く進む。田畑が水につかっても、人命第一の治水目的にはかなう。間題は、そうした政策がまだほんの一部にすぎないことである。もっと全国に広げなければならない。
米国は93年のミシシッピ川の洪水後、欧州は95年の水害後、いずれも近代治水に疑間を深め、川があふれ出すことを認めて目然に逆らわない治水へと、かじを切った。日本の伝統治水に通じる方法である。
日本では、低地の沖積平野に多くの人々が住むという国情の違いがあるにせよ、各地でなお従来型の治水事業が進んでいる。熊本県の川辺川ダムや岐阜県の徳山ダムなど、自然を壊し、根強い反対を受けている事業もある。この際、治水計画全体を洗い直すべきである。それが答申にこたえる道だろう。
むろん、都市部では川をあふれさせるわけにはいかない。だが、あふれる原因の一つは街をコンクリートで覆い、雨水を下水道で大量に川へ流してきたことだ。雨水を地下に浸透させ、緑地などに水をためる遊水機能を強化して、川の負担を滅らす必要がある。
治水は森林保全を含め、流域全体で担うことが大切だ。これまでは近代技術を過信し、ダムや堤防など、川に比重を置き過ぎた。
かつら京都の桂川沿いを歩くと、竹や樹本がうっそうと茂る光景に出合う。桂離宮を囲む水害防備林である。離宮内の書院は高床式で、水に浸らないようになっている。名勝はこうして守られてきた。
先人の営みを生かす知恵を絞り、これから百年の新しい治水を実現したい。