水俣市を視察
24分別の収集をし、環境モデル都市として名高い水俣市を視察しました。
最初に市立水俣病資料館を訪問。大型スクリーンに水俣病の歴史が映し出され、当初伝染病、奇病と誤解されたため、なお一層苦難を強いられた漁民や被害者の方々の無念が伝わり、胸が押しつぶされそうになりました。
その後熊大医学部の調査でメチル水銀が原因と判明。しかしチッソの企業城下町として多くの市民が何らかの関連を持つ中で、労働争議も重なったため住民間の対立が激しく起こり、コミュニティーの分断が長く続いたそうです。
しかし「対立からは何も生まれない!」と気づいた行政がまず過ちを認め、市民がまず水俣病を正しく知る学習を開始し、被害者の方も自らを語ることにより相互の理解が深まっていったそうです。
今では熊本県下の全5年生がこの資料館を訪れ、語り部のお話を聞くとのことです。
水俣病を教訓に生命の起源である「水」と「食べ物」がいかに大切であるかを認識したからこそ最大24分別にも取り組めたのでしょう。
次にその分別の経過を環境対策課の緒方さんから伺いました。
H4年の3月、4月の2回にわたるゴミとして収集したプロパンガスの爆発が契機となって、それまでの2分別から19分別になったそうです。
300回以上の説明会を設け、350人のゴミ減量推進員の協力の下にスタートし、昨年12月からは週2回生ごみの分別回収も実施中。
各家庭から出る生ごみは水切りした後、生分解できるトウモロコシから出来た袋に入れて回収し堆肥化するそうです。この袋は大中小の3種あり10円から30円で市民が買い取るとのことです。
もちろん家庭での生ごみの堆肥化に取り組む人は電気式やEM、コンポストなどで取り組みこの制度にはのらなくて良いそうです。ちなみに自家処理のバックアップは1所帯2万円が上限とのことです。
26の行政区に分かれて各区の資源化されたゴミの代金は各区に還元され、多いところでは年間60万円にもなるそうです。
私もその分別の現場に伺いましたが、区長やゴミ減量推進員さんの指導の元に非常にスムースに分別されていました。
時間はおよそ1時間、各区により収集は朝であったり夕方であったり地域の人の話し合いで決まるそうです。
男性の姿も多く見られ、たまたま市議の方もお二人ゴミ出しにこられていました。
その他学校版、家庭版ISOや環境マイスター制度などトップダウンではなく、市民や教育界からの声を大切に取り組んでこられた経過が良くわかりました。
わけてもゴミ減量女性連絡会議の存在は頼もしく、「食品トレイの廃止」や「マイバック運動」「エコショップ」認定、「ゴミ減量のための紙芝居作成」等多方面にわたり、エコショップ認定では抜き打ち調査などもされているそうで、自費でドイツまで環境行政の視察に行かれたとか、すごいですね。この行動力。和泉の私たちも見習いたい。
明日は屋久島に渡って環境自治体会議に参加します。